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テクノスジャパン考察



テクノスジャパン くにおくんの生みの親テクノスジャパンは、はじめ新宿は西新宿6丁目に、その次は歌舞伎町2丁目の第2モナミビル3階に本社を構えていましたが、1992年12月からは、中野区新井の新ビルに移転。
1995年にテクノスジャパンは事実上倒産、くにおくんの歴史も一時は幕を閉じました。
(新ビルを建てたことで赤字になって、倒産という噂もありますが)
中野の元テクノスビルには、現在すでに他のテナントが入っていますが、ビルの名には「テクノス」の言葉が使用されています。

ファンクラブ 1992年から開始した公認ファンクラブ。年に4回、フルカラーの会報(瓦版だよ!全員集号)が発行されました。
会報には新作ゲームの情報や、キャラコン(人気投票)、投稿コーナーなどがあり、ポイントがたまるとくにおブルゾン、くにおくん人形など、くにおグッズのプレゼントがありました。
また、ゲームショーでファンクラブの会員証を見せると特典がありました。左は、ファンクラブ設立の時の、会員募集のハガキです。

ファンクラブメンバーから抽選し、オレゴンでのサマーキャンプも主催しました。アメリカはオレゴン州、8泊10日で日米の48人の子供たちが参加しました。
(その模様は’93/10/11の13:05より、テレビ東京などで放映されたらしいです)
ダブルドラゴン テクノスの発売していたゲームは、くにおのほかにも多数ありますが、そのうちのひとつ、「ダブルドラゴン」はアメリカで実写版映画になりました。
ターミネーターのT1000役、ロバート・パトリックや、アリッサ・ミラノが出演!’94/11/4から、全米2000の劇場でロードショーされました。
(日本では、ビデオ発売のみ)
その他の情報

左は、東京ドームのジャイアンツ戦公式試合で、テクノスのロゴとくにおくんの顔がほどこされたリモコン操縦の飛行船が飛んだ写真です。

テクノスはF3レーサー高橋浩二をプロデュースしていました。
途中からは高村一明に交代。マシン名はレイナード。イエローのマシンに、テクノスのロゴやくにおくんの顔が描かれていました。

テクノスには社内軟式野球チームもありました。
その名もレネゲース。

くにおくんのゲームの海外バージョン「RENEGADE」から名前をとっています。
左はファンクラブ会報に載っていたレネゲースのユニフォーム写真です。

テクノスの最期 最後のテクノス発売のゲームは、NEOGEO対応「超人学園ゴウカイザー」
キャラクターデザイン、メカデザインに大張正己(劇場版飢狼伝説の監督、キャラクターデザインなどで有名)をフィーチャーした対戦格闘ゲーム。アーバンプラント、PROJECT Gよりプレステ版も発売されました。
アーバンプラントのホームページは、しばらく更新されぬまま残っていましたが、2001年頃?急に閉鎖。その後くにおの版権はアーバンプラントにある!という噂が一時期流れましたが、これは間違い。


実はテクノスは末期にPSにも参入しています。
3Dの、ポリゴン使用のパズルゲーム「ジオキューブ。
左の画像はファンクラブ会報に載ったジオキューブの宣伝?です。
ジオキューブ持っている方、見つけた方、情報お待ちしております。
そして・・・ 2001年3月アトラスから発売されたGBAソフト「爆熱ドッジボールファイターズ」は、くにおくんを作っていたスタッフの人が開発。
くにおくんのパクり?なんて言ってる人も居ましたが、パクりも何も・・・
で、その流れもあって、2004年に同じくアトラスからくにおくん復活!!




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